「空気の研究」の研究:大東亜戦争の終戦は「空気」で決まったのか? --- 金澤 正由樹

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Lauren Humble/iStock

今年も、あと1ヶ月ほどで8月15日です。

言うまでもありませんが、現代の日本人にとって、この日は大東亜戦争「終戦」の日として強く記憶されています。

なお、私は「大東亜戦争」と書くことにしています。なぜなら、この名称は閣議決定された正式なものであり、当時の雰囲気を追体験するなら、「そのまま」使うべきだと考えるからです。

さて、一般には、終戦の決定は、1945年8月14日の御前会議が紛糾して結論が出なかったため、昭和天皇の「御聖断」によるものだと認識されています。対照的に、開戦は「空気」による決定だと信じている人が大多数でしょう。

山本七平氏の労作『「空気」の研究』は、まさにこれらの謎を解明するために書かれたと言っても過言ではありません。

しかし、少なくない人が、こんな素朴な疑問も抱いているはず。もし、終戦の決定が「御聖断」によるものだとするなら、なぜ開戦は「空気」により決定されたのかと…。もちろん、私もその1人でした。

そしてまた、開戦や大和の特攻が空気によるものなら、終戦の決定にも空気が大きく影響していたはず。ところが、奇妙なことに、「開戦も終戦も空気で決まった」という論考はまず見かけません。

終戦から80年近くが経過し、最近ではほとんどの情報が公開されています。山本氏が『「空気」の研究』を出版したのは1977年。それから40年近くの歳月が流れました。そろそろ、この疑問にきちんとした回答が与えられるべきではないでしょうか?

残念なことに、私は未だに納得できる回答が見つかりません。しょうがないので、自分の頭で考えることにし、以下には私自身の備忘録として、その根拠を書き綴っておくことにします。

1945年の終戦は誰もが知っていた

日本がほぼ制空権を失っていた1945年3月には、東京、大阪、名古屋、神戸といった大都市と、戦艦大和を建造した軍都・呉が次々と空襲されています。

3月10日 東京大空襲 下町が壊滅 死者約10万人
3月12日 19日 名古屋大空襲 死者1,300人以上
3月13日 大阪大空襲 死者3,987人
3月17日 神戸空襲 死者2,500人以上
3月19日 広島・呉軍港空襲

1945年3月26日には硫黄島が米軍の手に落ち、本格的な日本本土への空襲が可能になります。そして、6月になると、それまでの何倍もの規模で、地方の大都市や軍事都市までが爆撃目標となりました。

図1 硫黄島を失ったことによる影響
文浦史朗『図解雑学 太平洋戦争』を参考に作成 地図の出所

実は、そんな絶望的な状況は前年から予測されており、国民の間でも噂になっていたとのこと。山本智之氏の『「聖断」の終戦史』によると、1944年12月頃から、戦争を遂行できる限界は1945年6月頃という「6月終戦説」が民間にまで流布してきたそうです。

これに先立ち、すっかり敗色が濃くなった1944年には、多くの国民は大本営発表が信じられなくなり、厭戦気分が高まってきます。

昭和十九年に警保局保安課第一係が作成した「最近に於ける不敬、反戦、反軍其の他不穏言動の概要」を見ると、「戦争は陛下が勝手にやつてゐる」「天皇陛下は飾り物でこんな物は穀潰しだ」「大東亜戦争停止 戦争停止」「打倒東条 打倒軍国主義」「幾万の同胞の生命物資を消費して何が聖戦でせうか」というように、天皇への反感や不満、反戦・反軍の落書や投書が多く収録されているのである。

これらを裏付けるように、『「空気」の研究』でも、最高戦争指導者会議のメンバー6人(総理大臣鈴木貫太郎、外務大臣東郷茂徳、陸軍大臣阿南惟機、海軍大臣米内光政、参謀総長(陸軍)梅津美治郎、軍令部総長(海軍)豊田副武)は、本音では降伏は不可避と考えていたとして、次のような記述があります。

みな内心では、だれかが「降伏しよう」と言い出してくれないかと、それだけを心待ちにしていた。いわば、「陸軍が始めたのだから陸軍が言い出すべきだ、今日言うか、この次に言うか」と一方が梅津参謀総長に期待すれば、御当人は「軍人は最後までそれが口にできないのだから、だれかが言ってくれないとこまる。外務大臣は言わないのだろうか、今日言うか? 明日言うか?」期待し合っていた状態である。

しかし、現実にはそんなにスムーズに事は運びませんでした。その後の度重なる空襲で日本全土が焼け野原と化し、1945年8月初めに2発の原爆が投下され、ソ連の侵攻があったにもかわらず、終戦の決定は8月14日まで遅れたのです。

なぜでしょうか?

終戦は「空気」で決まったのか

結論から言うと、これは慎重に周囲の「空気」を読んでいたからであり、その意味では終戦の「御聖断」も空気には逆らえなかったということになります。確かに、こう考えると、空気の影響は首尾一貫しているのです。

ここで、現実の経緯を追ってみましょう。

梅津参謀総長は、あたかも6月終戦説に合わせたように、1945年6月9日(11日説もある)になると、昭和天皇に本土決戦を行う戦力が事実上ないことを上奏。このことを受け、昭和天皇は6月22日に最高戦争指導会議を自ら招集し、戦争の終結に「努力せんことを望む」と述べました。

ポイントは、昭和天皇が最高戦争指導会議を「自ら招集した」という点で、これは極めて異例なことです。

そして、この時点でやっと終戦の方向に転換が始まり、不可侵条約を締結していたソ連に講和の仲介を依頼することになります。

では、昭和天皇は6月の梅津参謀総長の上奏まで、不利な戦局をまったく知らなかったのか。まさか、そう信じている人はいないでしょう。

1945年4月、首相就任を固辞する鈴木貫太郎に対し、昭和天皇は「鈴木の心境はよくわかる。しかし、この国家危急の重大な時期に際して、もう人はいない。頼むから、どうか、曲げて承知してもらいたい」とまで言って頼み込んでいるのです。言うまでもなく、この人事は明らかに終戦処理を考慮したものです。

もはや真相は明らかというしかありません。

1945年の昭和天皇は、戦況は極めて不利で、内心は降伏もやむを得ないと考えていたが、そう言い出せる空気ではなかった。そこで、最大の障害となる陸軍に「降伏やむなしの空気」が醸成されるまで辛抱強く待ち、6月9日にこの空気を確認した後、速やかに6月22日に最初の(事実上の)終戦の「御聖断」をしたということになります。

「空気」による決定の必要条件

国民全員に終戦を納得させる空気が醸成されるためには、御聖断のような象徴的なイベントが絶対に必要なはず。よって、逆説的な意味で、終戦は昭和天皇の「御聖断」によって決まった、と信じる人が多ければ多いほど、「空気」による終戦の決定は効果的であり、どうしても政治的に必要な条件だということになります。

なお、御聖断とセットとなるものとして、当時の陸軍大臣だった阿南惟幾による、「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」という遺書を残した自決を特記すべきだ、と強く思います。なぜなら、御聖断だけでは、その後の陸海軍の反乱は抑えられなかったはずだからです。

実際、終戦直前の8月14日には、玉音盤奪取未遂事件だけではなく、鈴木首相の自宅襲撃など、戦争を継続させるため、旧軍は数々の血なまぐさい反乱を起こしています。しかし、阿南陸相の自決による、「終戦の空気」の強烈な拘束力のせいか、その後は目立った反乱は起きていません。

以上のように、用意周到に準備された「終戦の空気」の影響は極めて大きかった、と言わざるを得ないのです。開戦が空気で決定され、多くの国民が熱狂したように、終戦の空気には国民にも陸海両軍にも大きな抵抗はなく、米軍も拍子抜けするほどスムーズにすべてが進行して行きます。

そして、これらの出来事は、あまりにもスムーズに、それこそ空気のように自然だったため、人々の記憶から急速に忘れ去られてしまった。これこそが「空気」が実在し、現在でも存在している明確な証拠だ…と私は信じます。

終戦の「御聖断」は3回あった

このようなことから考えると、前出の『「聖断」の終戦史』にもあるように、第2回の「御聖断」は8月10日深夜のポツダム宣言受諾、そして第3回は8月14日の最終決断だと考えるのが妥当でしょう。

以上の理由で、「空気」の影響を最大化して、終戦処理を円滑に進めるため、3回目の御聖断だけが盛大に喧伝された。この結果、現在ではすっかり伝説となり「神話」と化してしまった、ということが最も真実に近いのではないでしょうか。

『「空気」の研究』の一貫したテーマは、大東亜戦争において、開戦や戦艦大和の特攻出撃などの決定的な出来事は、誰にも説明不能な「空気」によって決まった、というものです。もしそうだとするなら、終戦のプロセスにも大きな影響がないとおかしいはず。

そして、いままで述べたように、やはりこれは終戦でも同じことで、「空気」は極めて大きな役割を果たした、というのが私が納得できる結論となります。

ひょっとすると、開戦の経緯も、そんな神話化のプロセスによって出来上がったものなのかもしれません。

これに関しては、少し引っかかる点があります。山本七平氏は、開戦時の「空気」について、イザヤ・ベンダサン名の『日本教について』の中で、数々の驚くべき「事実」を明らかにしているのです。恥ずかしながら、再読して初めて気付きました。にもかかわらず、なぜ正直に『「空気」の研究』に書かなかったのかは謎というしかありません。

金澤 正由樹(かなざわ まさゆき)
1960年代関東地方生まれ。山本七平氏の熱心な読者。社会人になってから、井沢元彦氏と池田信夫氏の著作に出会い、歴史に興味を持つ。以後、独自に日本と海外の文献を研究。コンピューターサイエンス専攻。数学教員免許、英検1級、TOEIC900点のホルダー。

「空気の研究」の研究:ゲーム理論と進化心理学で考える大東亜戦争開戦と御聖断のサイエンス